別の記事で「言語化が難しいのは、人が人である以上当然のことだ」と書きました。
そうは言っても、現に「言語化の難しさ」に直面している方はいらっしゃることと思います。そこで、この記事では、もう少しだけ「言語化に対する苦手意識をつくりだしているもの」について深掘りしていきます。
どうしてこんなに「言語化」が必要とされるのか
私は、長く書籍、特にビジネス関連の書籍(以下「ビジネス書」)の編集者をしていました。
ビジネス書には一定周期で人気になる「テーマ」があります。それは食べ物の「旬」のようなもので、一つのテーマが流行すると、多くの出版社がこぞって同じような本を出し、店頭に並ぶことになります。
少し前、大きな人気を博したテーマがありました。
それが「語彙力」です。
仕事をする限り、コミュニケーションは避けては通れないものです。気軽な会話だけではなくて、文章を書いたり、人前で話したりする場面は増えていきます。経営者やフリーランスともなれば「自分から発信しなければ、仕事が始まらない」なんてこともあるでしょう。
でも、いざ何かを「話そう」「書こう」とした時に「しっくりくる言葉」が見つからない……その原因は「語彙力不足」だからこそ、語彙力をトレーニングしたほうがいい!!
——というのが、多くの本で述べられているざっくりとした主張です。
語彙力は、もちろん大切です。
語彙力があることで「言葉にする力」が高まり、言語化がスムーズになるのは確かです。
だけど!
ここで私が考えたいのは、「これほどまでに語彙力や言語化が必要とされている私たち」を取り巻く状況です。
本来「語彙力」や「言語化力」を育てるには時間がかかる
本来「語彙力」を高めることも、「言語化」をすることも時間がかかることです。
たとえば言語化は、インプットした情報が身体に蓄積され、咀嚼・消化されることによって、自分自身のオリジナルのアウトプットとなるプロセスです(詳しくはこちらの記事を参照ください)。
私たちの身体が「ご飯を食べたら、すぐに排泄される」ようにデザインされていないように(食事から排泄までの時間は24〜48時間かかるそうです)、インプットしたらすぐに言語化・アウトプットできるわけがないのです
でも、その前提を忘れて、アウトプットを急ぎすぎてはいないでしょうか?
インプットしたものをしっかり咀嚼し、消化する時間はとれていますか?
試行錯誤をしたり、自分なりに考えたりと、自分のなかで「寝かせる時間」をとっていますか?
インスタントなアウトプットが「言語化の力」を弱くする
これ、口で言うのは簡単ですが、実際に行うのは難しいのでは?
だって、今の時代、みんなとても忙しいから。
特に、ビジネスをしていると
「意見を求められたら、すぐにレスポンスをしなければいけない」
「即断即決で動かなければいけない」
なんてことがよくあります。「チャンスの神様には前髪しかない」という諺があるように、少しでも躊躇っていたらチャンスが逃げていってしまう……なんてことは、割とよくある話かもしれません。
ただ、このスピードに慣れ過ぎてしまうと、Chat GPTのように、即座に答えを出すことを良しとする「インスタントなアウトプット」が当たり前になってしまいます。
もちろん、ビジネスの現場で
「今、寝かせている最中です」
なんてことは言えませんよね。
だけど、敢えてはっきり言います。
この「インスタントなアウトプット」こそが、私たちの言語化力を弱くしているものの正体です。
素早くインプットして、素早く使う(アウトプットする)。
それは、もはや単なる「情報処理」で、想いや願い、力の宿った「言葉」のやり取りではありません。
議事録をとったり、レコーディングをしたりしていた場合、「テキスト情報」は残ります。
だけど、そこに本来の意味での「コミュニケーション(情報や考え、感情等を伝え合って、交流を図ること)」は起きるのでしょうか。
そんな情報処理や、「コミュニケーションっぽいもの」ばかりを続けていると、いつしか言葉の力は失われていきます。そして、何度煎じたかわからない「出涸らしのお茶」のように、スカスカで、味も風味もない「無味乾燥な言葉」しか発せられなくなってしまうのです。
そこにはもう「人間らしさ」はありません。
というか、そもそも「情報処理」に関して言えばAIのほうがはるかに優れています。
インスタントな(即座の)アウトプットを目指す——というのは、私たち人間にとってかなり不利なルール。
それどころか、ちょっと俯瞰して、地球外に住む宇宙人の立場から見てみたら「わざわざ人間らしさを自ら手放して、最初から「負け」確定の勝負へと繰り出していく愚かな姿」が見えるかもしれません。
少し前に流行っていたビジネス書のテーマのような「AIに仕事を奪わる未来」は、こうしてつくられていくのではないでしょうか。
「言語化」と人間の尊厳
ちょっと言い過ぎでしょうか。
飛躍し過ぎているでしょうか。
でも、私、この流れに抗いたいんですよね、何がなんでも。
人が人らしく、人間らしくあることを放棄したくないし、放棄してほしくないんです。
だから、ちょっときついことを書きました。
そして、私はこうも思っています。
「言葉になりづらい感覚や願い、想い」を言葉にしていこうとする「言語化」の営みは、今まさに起きている「人間らしさが奪われていく流れ」に抗う、かなり強力な手段の一つだ、と。
ああでもない、こうでもない……と悩み、惑い、もがき、あがきながら「言葉」を紡ぎ出そうとする。
大切なことを、言葉で分かち合おうと努めることや、
その時に感じる「言葉にできないもどかしさ」こそ、人間らしさではないでしょうか。
私は、なんとか大切なものを言語化し、誰かと分かち合おうとする姿に「人間の尊厳」のようなものを感じてしまいます。
そして、そんな「人間らしさ」こそが言葉に宿る「力」の源。
悩み、もがき、あがくほどに「力」は増していき、身体のなかに蓄えられます。
やがてその力は言葉を通じて誰かの手に渡り、熱伝導のように広がっていく——人から人へと何かが伝わるって、こういうことではないでしょうか。
というわけで。
今日も、もがいてみませんか?
「言葉にできないもどかしさ」という人の醍醐味を、たっぷりと味わってみませんか?
インスタントなアウトプットが求められる現実のなかでも、必ずやってくる「締切」や「納期」を守ったり、チャンスの前髪に置いていかれないようにしながら、自分なりに、できる限りの「言語化」を試みてみませんか?
もちろん、いきなり100点の答えが出るわけがありません。
自分のアウトプットに落ち込むこともあるかもしれません。
だけど、そんな「ままならい感覚」もまた、あなたの言葉に力を与えていくのです。
「言語化」のプロセスに同伴者が必要な時は、どうぞお気軽にご相談ください!
あなたの言葉が、必要としている人に、深く、強く響いていきますように!
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